2014年12月16日火曜日

研究不正を考える

先日、分子生物学会において池上彰さんと学会員との討論会が行われました。池上さんは非常に頭の回転が早く、ユーモアがあって、さすがだなと思いました。その中で、心に残ったことがあります。正確ではありませんが「不正の責任が論文の責任著者にあるのは間違いない。しかし税金を使って研究をしそれで社会の中で組織を形成しているからには、組織及びその長が管理責任を問われるのは社会の常識ではないか」という趣旨で、尤もだと思いました。もしかしたら、研究者ってお子ちゃまですね と言いたかったのかもしれません。

我々研究者は、科学の進展に追いつくのには熱心ですが、倫理の進歩やその教育についてはそうでなかったのではないでしょうか。また世代間でコピペ等への感覚が大きく異なることを、指導者の世代はあまり認識していません。大学院生、ポスドクがここまで増えた現状では、倫理の言語化•システム作りが必要でしょう。そしてそれは単なるノウハウの伝授ではなく、未知の状況でも自分で判断でき、生涯にわたって高い倫理規範を維持できるように、自分は何のために研究をするのかを根源から問うものでなければなりません。研究は一人でやるのが基本なので、バカ正直といってもよいほど極めて高い倫理感が求められます。そのためにCITIなどのe-learningに加えて、やはりPIが折に触れて自分の哲学を語ることが大切でしょう。私は、「科学は、自分の生存や出世のための手段ではなく、目的なのだ」と言っていますが、以下のような話も学生にしています:研究不正の話は自分と無関係と思っているかもしれないが、将来こういう場面に直面したらどうするか?revisionでdataを一つだけ削除すれば有意な差がでて、論文がいい雑誌に受かり自分も生き残れる。しかし論文が通らなければ職を失い研究をやめなければならない。それでも真実を通せる人になってほしい。そもそもそういう状況に追い込まれたこと自体が自分の実力不足だと悟るべき。 「自分ではなく、サイエンスを愛してください。」


0 件のコメント:

コメントを投稿