2013年9月11日水曜日

You do best what you like best

2001. 9.11 私はLos Angeles 近郊のAMGEN本社を訪問することになっていました。当時所属していた東大医科研AMGEN寄附講座の延長を交渉するため、研究所でのセミナーと副社長(研究開発担当)との面会が予定されていました。しかし、朝ホテルで起きてくると、ロビーのテレビの前に人だかりができている。World Trade Center collapsedのheadlineを理解するのに相当時間がかかりました。LAはNYと3時間時差があるので、LAの早朝にはそういう状況でした。全機着陸が指示されたものの行方不明の飛行機があり、その中にはLAに向かっているはずのものも数機あって、LAにも突っ込んでくるのではないか、といった話がホテル客の間で流れました。AMGENも日本の寄附講座延長交渉どころではなく、すべての予定はキャンセルされました(副社長は少しだけ会ってくれましたが)。AMGEN社員もテロにあった飛行機に乗っていたそうです。
 航空系統がすべて止まったため、同行してくれていた新井医科研所長と日本AMGENの吉田社長(いずれも当時)とともに、LAに足止めを食らいました。戦争が始まるのではないかといった噂も流れ、そうすると妊娠中の妻が待つ日本には半年−1年くらい帰れないかもしれないとも思いました。毎日日本への航空機に予約を入れるのですが飛ぶわけもなく、何日も過ぎました。ようやく日本からANAが一機LAに向かったという情報が妻から入りましたが、LA空港の情報は錯綜しており、最初は否定されました。それでも確認すると、どうやら飛ぶらしいということになって、LAから日本に向かう最初のANA機に乗れることになりました。しかし空港は恐ろしいほどの厳戒態勢で、首尾よく乗れてもまたハイジャックされてしまうかもしれない。これほど飛行機に乗るのに緊張したことはありません。
 しばらくしてAMGENは寄附講座の閉鎖を決定しましたが、私をAMGENの研究所に雇ってもよいということで、再びAMGEN本社へ行ってセミナーをし、多くの研究者と面会しました。確かにアメリカの製薬企業の環境は素晴らしく、資金も豊富で、すごいことができそうでした。しかしAMGENは私に腎臓ではなく骨をやってほしいとのことでした。ここまでやってきた腎臓発生をやめるのか。。。迷いながら正直に話をした副社長(前述とは別人。臨床開発担当)が言った言葉が "You  do best what you like best. "(自分が最もうまくやれるのは自分が最も好きなことだ)。ああそうだな、自分は腎臓が好きだ。どんなにきつくても、お金がなくても、一人であっても、腎臓を続けよう、と思いました。AMGENへの就職は丁重にお断りして、腎臓研究を続けられる場所を懸命に探しました。幸い熊大発生研に研究室をもつことができました。2001年のテロから12年。あの時腎臓発生研究をやめなくて本当に良かったと思います。多くの人が巣立ち、これからも育ちます。彼らが出す成果は腎臓再生に向けて大きく貢献するでしょう。私もまだまだ頑張ります。