2014年4月23日水曜日

あなたのcentral questionは何ですか?

国際科学技術財団は日本国際賞を主催していますが、同時に若手研究者(35才以下)への研究助成も行っています。今回は、私が選考委員長を務めました。私自身は力不足でしたが、委員の先生方のご支援により、素晴らしい10名の若手を選ぶことができ、2014.4.22に贈呈式が行われました。以下は、私が若い方々に送ったお祝いの言葉です。


 「生命科学」の分野で研究助成の選考をさせていただきました西中村です。今回、研究助成に採択された皆様に、選考委員を代表して、講評とお祝いを述べさせていただきます。



 「生命科学」は大変幅広い領域ですが、次年度に「医学•薬学」の募集がある状況を踏まえ、本年度はできるだけ基礎的な研究を選ぶ方針としました。それでも研究領域は広範囲に及ぶため、選考委員はMD, PhDのバランスを考慮し、扱う動物種もハエからヒトまで、幅広い専門分野の方々にお願いしました。すべての委員がすべての申請資料を事前評価したのち、東京に集まって合議を行いました。但し平均点だけで一律に評価することはせず、申請一件ずつに対して皆で意見を出し合うことによって、ご本人の実力による独創的な研究を拾い上げる努力をしました。その結果、優れた論文をお持ちでも選に漏れた方も大勢おられます。皆様は、数多くの応募の中から私たち委員がこれはと信じて選んだ方々です。どうか自信をもって研究に邁進ください。



 昨今、生命科学領域では研究不正の報道が相次いでいますが、これはひとごとではありません。この機会に、皆様も何のために自分がサイエンスをするのかを考えていただきたい。私たちは基本的に自分の興味に基づいて研究をしますが、最終的には人類の知の発展のために貢献しています。ここで不正をすればその発展を阻害してしまいます。もっと平たくいうと、世のため人のために正しいことをやりましょう。決して自分の出世や研究者としての生存のためにサイエンスを手段として使わないでいただきたい。サイエンスは目的であって手段ではない。常に素晴らしい結果がでなくてもよいです。正直な結果をもとに誠実にサイエンスを進めてください。あなたのcentral questionは何ですか?あなたが一生かけて解きたいことは何ですか?それに向かって愚直にまっすぐに進んでください。そして何よりも、自分ではなくサイエンスを愛してください。



寺田寅彦は言っています。

「科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである」



 皆様の研究が大きく発展されることを心から願っております。本日は誠におめでとうございます。



                   選考委員長  西中村 隆一

                (2014422日 2014 年研究助成金贈呈式にて)

付記: central questionというフレーズは鍋島陽一先生がよく使われるのですが、これを是非伝えたくて無断借用させていただきました。この場を借りてお詫びします。

2013年12月14日土曜日

3次元腎臓組織の試験管内作成に成功しました

2013.12.12 (日本時間12.13) Cell Stem Cellに論文を発表しました。概略は発生研HPのNew Pressをご覧ください。簡単にいうと、マウスESとヒトiPSから糸球体と尿細管からなる3次元の腎臓構造を試験管内で作成したということです。私はこれを達成するために研究者の道に進んだので感無量です。カエルでは試験管内で腎臓(前腎)がアクチビンとレチノイン酸で作れることを20年前に浅島誠先生が発表しました。これを哺乳類で実現して腎不全の患者さんを助けたいと思い、1996年大学院卒業が確定した2月に、浅島先生と共同研究を始めました。とは言っても当時は、腎臓を作れるわけがない、腎臓発生研究はscienceなのですか、などと批判され、参加する学会もなく、砂漠を歩くような日々の連続でした。それでもカエルとマウスを使ってSall1など新たな遺伝子をみつけることによって (2001年)少しずつ腎臓発生のメカニズムを明らかにしていきました。そして2006年、Sall1を発現する細胞群がネフロンの前駆細胞であることを提唱しました。他のグループによっても証明され、糸球体や尿細管をつくるSall1/Six2陽性のネフロン前駆細胞が存在することが確立しました。
ではこのネフロン前駆細胞を作るにはどうしたらよいか?Sall1の上流にあって、ネフロン前駆細胞の起源と思われていた中間中胚葉に発現するOsr1のGFPノックインマウスを2007年に作成し、さらに遡ろうとしましたが難航していました。そこに太口君が大学院生として入ってきました(2009年)。彼にこのテーマを託したものの、最初の数年はやはりうまくいかず、ラボ内にはこんな不確実な実験を継続することに批判もありました。しかし太口君の実験は結構いい線をついていると感じていて、やりたいようにやってもらいました。ネフロン前駆細胞ができる1日前 のOsr1陽性の細胞から誘導できる条件をみつけたのが最初の成功でした。しかし、さらに1日前 からの誘導がどうしてもうまくいかない。ここまでかと思い始めた頃、Osr1陰性の方からうまくいくことがあると太口君が言ってきました。ネフロン前駆細胞の起源は実は中間中胚葉ではないのではないか?Osr1陰性の部分には下半身を作る体軸幹細胞が含まれています。ではこの細胞をラベルしたら本当に腎臓になるのかを確認したい。それができる遺伝子改変マウス(T-GFPCreER) はどこにいるのか?同じ研究所の佐々木教授に尋ねてみたところ偶然彼が作ってもっていました。それもマウス棟の同じ階にいた!これを直ちにいただいて太口君が試したところ、確かにT陽性の細胞がネフロン前駆細胞の起源であることがわかりました。そこでこの細胞からネフロン前駆細胞を試験管内で誘導できる条件を探しました。ここも太口君の健闘で、発生機序に沿った条件が確定し、2012.3 ついにネフロン前駆細胞が誘導できました。つまりT陽性の体軸幹細胞様細胞が途中でOsr1陽性に変わり、さらにネフロン前駆細胞ができるわけだったのです。これが大きなbreakthroughでした。
ここまでできれば、理論的にはES細胞からT陽性細胞を経由してネフロン前駆細胞ができるはずです。太口君は結構自信ありげでしたが、経験を積んでいる私はそれがそう簡単ではないことを知っています。実際彼は相当苦心しましたが、2012.9.7にESから作ったネフロン前駆細胞から糸球体と尿細管ができていることがわかりました。これを顕微鏡で確認したときには、私はさすがに感極まってしまいました。自分が一生かけても達成できないかもしれないと思っていた夢が現実になった瞬間でした。涙ぐんで彼に何度も「ありがとう」と繰り返しました。
ここで論文を投稿したのですが、世の中は甘くない。ヒトでもやらないと駄目ということでした。マウスでできたからといってヒトですぐできるわけではありません。もしかしたらまた数年かかるかもしれない。とはいえこれを見越して、大学院生のSazia と賀来君とで、ヒトiPSの培養系は一通り立ち上がっていました。太口君にもiPS細胞培養法を伝授し、同じプロトコールを試してもらったところ、わずか2ヶ月ほどでヒトでも糸球体と尿細管の誘導条件を決定してくれました。腎臓の発生過程はマウスとヒトとで驚くほど似ていたわけです。
今回の太口君の快挙の秘訣は、発生機序を十分に理解して論理的に条件を設定した上で、それでも予測範囲外のことまで試したことだと思います。Osr1陽性だけではなく捨てるはずの陰性細胞を試したこと。普通使う試薬濃度の10倍を試してそれが正解だったこと。知識と経験を積むにつれて絞り込み方がうまくなるものですが、それでも自分の考えを越える可能性を愚直に試す努力を怠らないこと。「研究者は頭がよくなくてはならない。と同時に頭が悪くなくてはならない」と寺田寅彦が言ったといわれますが、このことを指しているのでしょう。
今回の成果は私が20年間追い求めていたものです。患者さん達の人生を背負って生きてきたつもりなので、本当に感無量です。しかし現時点では大きさも成熟度もまだまだです。それには、もう一つの腎臓構成要素である尿管芽をつくって、ネフロン前駆細胞と組み合わせ、本当の3次元の腎臓を作らねばなりません。さらにそこに血管を通して尿を作らせ、機能を持たせる必要があります。これにはまだまだ長い時間がかかるでしょうが、試験管内での腎臓作成という私の夢は、夢物語ではなく達成可能な「目標」になったのだと思っています。一日でも早くこの「目標」を達成したいものです。患者さんは一日千秋の思いでその日を待っています。みんなありがとう!そしてこれからも頑張りましょう。


2013年9月11日水曜日

You do best what you like best

2001. 9.11 私はLos Angeles 近郊のAMGEN本社を訪問することになっていました。当時所属していた東大医科研AMGEN寄附講座の延長を交渉するため、研究所でのセミナーと副社長(研究開発担当)との面会が予定されていました。しかし、朝ホテルで起きてくると、ロビーのテレビの前に人だかりができている。World Trade Center collapsedのheadlineを理解するのに相当時間がかかりました。LAはNYと3時間時差があるので、LAの早朝にはそういう状況でした。全機着陸が指示されたものの行方不明の飛行機があり、その中にはLAに向かっているはずのものも数機あって、LAにも突っ込んでくるのではないか、といった話がホテル客の間で流れました。AMGENも日本の寄附講座延長交渉どころではなく、すべての予定はキャンセルされました(副社長は少しだけ会ってくれましたが)。AMGEN社員もテロにあった飛行機に乗っていたそうです。
 航空系統がすべて止まったため、同行してくれていた新井医科研所長と日本AMGENの吉田社長(いずれも当時)とともに、LAに足止めを食らいました。戦争が始まるのではないかといった噂も流れ、そうすると妊娠中の妻が待つ日本には半年−1年くらい帰れないかもしれないとも思いました。毎日日本への航空機に予約を入れるのですが飛ぶわけもなく、何日も過ぎました。ようやく日本からANAが一機LAに向かったという情報が妻から入りましたが、LA空港の情報は錯綜しており、最初は否定されました。それでも確認すると、どうやら飛ぶらしいということになって、LAから日本に向かう最初のANA機に乗れることになりました。しかし空港は恐ろしいほどの厳戒態勢で、首尾よく乗れてもまたハイジャックされてしまうかもしれない。これほど飛行機に乗るのに緊張したことはありません。
 しばらくしてAMGENは寄附講座の閉鎖を決定しましたが、私をAMGENの研究所に雇ってもよいということで、再びAMGEN本社へ行ってセミナーをし、多くの研究者と面会しました。確かにアメリカの製薬企業の環境は素晴らしく、資金も豊富で、すごいことができそうでした。しかしAMGENは私に腎臓ではなく骨をやってほしいとのことでした。ここまでやってきた腎臓発生をやめるのか。。。迷いながら正直に話をした副社長(前述とは別人。臨床開発担当)が言った言葉が "You  do best what you like best. "(自分が最もうまくやれるのは自分が最も好きなことだ)。ああそうだな、自分は腎臓が好きだ。どんなにきつくても、お金がなくても、一人であっても、腎臓を続けよう、と思いました。AMGENへの就職は丁重にお断りして、腎臓研究を続けられる場所を懸命に探しました。幸い熊大発生研に研究室をもつことができました。2001年のテロから12年。あの時腎臓発生研究をやめなくて本当に良かったと思います。多くの人が巣立ち、これからも育ちます。彼らが出す成果は腎臓再生に向けて大きく貢献するでしょう。私もまだまだ頑張ります。

2013年3月11日月曜日

研究者の心得

東日本大震災から2年。亡くなった方々に対して黙祷を捧げます。
人工透析の方々も大変な目にあわれたました。基礎の研究者が直接貢献できることは少ないですが、自分のやれる範囲内でベストを尽くすしかありません。

研究者は自分の好きなことを勝手にやれる特権階級ではありません(自分のためだけにやる研究は趣味です)。大学が完全に自由で何をどうやってもよいということはなく、社会とつながっている点で同じです。

1. この困難な時期に研究に対して税金を払ってくれる国民や患者さん、研究を支えてくれる技術支援や事務支援の方々、に思いを馳せ、その期待に応えられる様に(恥ずかしくないように)自分を律して研究すること。
(この思いの大きさがその人の研究人生を支えます)

2. 社会人として最低限の基本を身につけること。
当たり前のことですが。。。
挨拶はしっかりする
lab meetingには絶対に遅刻しない。無断欠席もしない。 (皆の貴重な時間である。memberの仕事に敬意を払い、積極的に参加する)
掃除は皆でやる (他人が自分に奉仕してくれるのが当然ではない。上の立場になるほど率先してやる)
他の人のために働く(同僚の支援、ラボの維持、書類など、頼まれたら快く受ける。自分からみつけて動く。「自分の仕事ではない」ことなどない)
助けてもらったら必ず感謝する(誰に対しても。思いがあれば自然とでるはず)
報告はこまめに関係者全員に、お願いは礼儀正しく(メールのccや口頭で。重複して悪いことはない)

3. この基本をおさえた上で、チャレンジする
十分相談した上で、失敗を恐れず、まずやってみる(やらない理由は100もある)
リスクをわかった上での失敗は非難されるものではまったくない
打席にたつことが大事 1打数1安打より10打数3安打の方が優れている
本人も予測しなかったことがわかるのが自然科学の醍醐味であり、自然は人智を越えています。

自分を含めて世界を感動させる(ワクワクさせる)のが研究者の本分です。それができなくなったり、自分のためだけにscienceを使ったりするようになったら、ピペットマンを置くべきでしょう。それが研究者の矜持というものです。

2012年10月9日火曜日

祝 山中教授ノーベル賞受賞

山中さんがノーベル賞を受賞しました。
彼は私と同学年、ノーベル賞としては非常に若い受賞です。

10年近く前にSall4 KOで競争したことがあり、それ以来の知り合いです。正直でユーモアに富む好人物です。熊大発生研の客員教授でもあり、会う機会は多く、私の研究室でも彼の作ったiPS細胞を使っているし、私の教え子も彼の研究所で働いています。

彼の発見はとんでもなく大きなもので、今回の受賞は我々日本の研究者にとっての誇りです。と同時に、同い年の彼に随分離されてしまったので、もう一度気合いをいれて頑張ろうと思っています。

2012年8月4日土曜日

孤独を恐れない

自分のキャリアを形成する上で、孤独を恐れないことは大切です。前の人が歩いた道を歩いている間は安心感がありますが、そこから外れると先は見えないし、砂漠を歩いているような感じになることがあります。例えば医者であれば医局に属している間はルートがある程度みえますが、そこから外れるとどうなるのかわからない。研究者として、学位をとって留学してPIを目指すというルートから外れると、これまたどうなるかわからない。でもそれは決してドロップアウト(脱落)ではない。自分が最初にいたところが最も重要な分野だと思いがちですが、広い目で見るとそうではありません。孤独に耐えて歩いていれば必ず別の道に行き当たるし、そこにはそれぞれにプロがいます。自分が砂漠を横切って歩んだ道を次の人が歩くとき、あなたは先駆者としてその独自性を評価されます。だから他人とは違った生き方をしてください(あるいは、せめてここだけは自分のオリジナルだといえる点をつくってください)。これを実行するには相当な実力が必要で、それがない人がやると、失敗して批判されるだけです。実力をつけて、孤独を恐れずに他人とは違う砂漠を歩いてください。そして10年後に振り返ったら、自分の後ろに道ができているといいですね。

2011年8月29日月曜日

小暮君に恥ずかしくない生き方をできているか?

私が東大病院の研修医(24才)のときに、小暮君という高校生を担当しました。難治性の急性リンパ球性白血病で既に入退院を繰り返しており、私の半年間の担当後も、徐々に退院している時期が短く、入院が長くなっていきました。しかし、彼は明るく素直な性格で、大学に向けた勉強も続けており、内科のスタッフ全員に愛されていました。私も退院中にご飯に誘ったり、入院したと聞けば栃木(自治医大)から見舞いにでてきたりしていましたが、数年後の10月に亡くなりました。その日、何も知らない私がのんびりバスから降りてくるまで、ご両親は亡くなった息子さんと一緒にずっと病院の裏で待っておられました。それ以降、10月になるとお母様にハガキを書き、丁寧なお返事をいただくことが20年以上続いています。一人息子を亡くすことが如何につらいかは、子供を持って改めて実感しています。
私は結局、血液学ではなく腎臓学を専門にしたわけですが、 10月が近づく度に、彼に恥ずかしくない生き方ができているか自問します。すぐに役に立つのは無理でも少しでも科学の発展に寄与できているか、怠けていないか。あれから20年以上たっても自分はほんの少ししか進んでいない、もっと急がねば、と思わせられます。